仏壇っていつからあるの?

仏壇は、仏教と一緒に伝わったのではありません。なぜなら仏教発祥の地インドに日本のような仏壇がないからです。時代の流れを辿りながら、仏壇について説明します。

古墳時代

日本では祖霊信仰を古くから行っており、きわめて素朴な棚の「魂棚」に季節の花や供物を捧げてご先祖様を祀っていました。
538年(522年の説もある)に百済の聖明王から釈迦如来像と経典が送られてきて、日本に仏教が伝わりました。初めて見た金の仏像は眩しく輝き、異国の文化にカルチャーショックを受けたようです。

飛鳥・奈良・平安時代

593年に推古天皇が即位して「三宝興隆の詔」を発布し、摂政の聖徳太子が604年に憲法十七条を制定しました。第二条に「篤く三宝を敬え、三宝とは仏と法と僧なり」と記され、仏教が国家をまとめる宗教としての役割を果たすことになりました。
そして752年に国の安寧と平和を祈る東大寺の大仏が建立されました。
平安時代になると、唐で仏教を学んだ最澄が天台宗を、空海が真言宗を開きました。この新しい仏教は現世利益をかなえる面があり、皇族と貴族に広く受け入れられました。

鎌倉時代

鎌倉時代になると、比叡山で修業をした法然が山を下りて浄土宗を開き、親鸞は浄土真宗、日蓮は日蓮宗、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗をそれぞれ創始しました。それまでは厳しい戒律を守り膨大な経典を学んだ者か、寄進をして功徳を積んだ者が救われるとしていましたが、鎌倉仏教は必要とする教えだけを学び、万民が救済されるという画期的な考え方でした。こうして身分や貧富にかかわらず民衆にも仏教の信仰が広まりました。一遍は全国を旅して念仏を記した札を配り、死後は時宗の開祖となりました。この頃に儒教の祭具である位牌が宋から日本に伝わったそうです。

室町時代

室町時代は各地で一揆が起こる戦乱の時代でした。浄土真宗の蓮如上人は民衆にも分かりやすい言葉で勢力的に布教活動を行い、各家庭で床の間に仏画を掛けたり仏壇で仏様を祀ったりするようになりました。

江戸時代

1635年に徳川幕府はキリシタン禁制を徹底するため、寺請制度を実施しました。これは全ての人が寺院の檀家となり、戸籍簿に相当する「宗門人別帳」を作るというものでした。また寺院が葬祭を行うように義務づけたため、仏式の葬儀と仏壇が普及しました。浄土真宗では本山の寺院を模して、金箔で荘厳された豪華な金仏壇が作られ始めました。

明治・大正時代

明治時代になると、紫檀や黒檀などの銘木を用いた唐木仏壇が作られ、精巧な彫刻が施されました。唐木仏壇の製造も、金仏壇と同様に、木地、空殿、欄間、彫刻など幾つもの工程に分かれ、それぞれの職人が技を駆使して工芸性の高い製品になりました。

昭和以降

戦争により仏壇製造の産業は一時衰退しましたが、1945年の終戦から需要増加に反転し、高度経済成長期には2500万世帯に仏壇が行き渡ったと言われています。その後、住まいの洋風化で置き場所に困ったり、核家族化や少子化で引き継がれなかったりして、少しずつ仏壇の製造は減っていきました。
1984年、八木研は住まいに合う都市型・家具調の「自由仏壇」を発表。1991年には祖霊信仰の魂棚をコンセプトとした「現代仏壇」を商標登録し、新しい祈りのスタイルを提案しました。
現代仏壇は、宗教に沿った祀り方も、宗教にとらわれない祀り方もできます。また新しく仏壇を購入される方だけでなく、リフォームや引っ越しで買い替えられる方、手元供養やペットメモリアルをお求めの方にも幅広くご支持をいただいています。